世代や立場を超えて手をつなぐために――善意の押し付けはなぜ人を傷つけるのか
最近、デモや抗議への若い女性の参加が増えるなか、運動界隈にも存在する「わからせ」おじさんに怖い思いをさせられる人が増えている。そのことについて、記事にまとめた。
若い人を「わからせ」ようとするのはおじさんだけではない。
そうしたおじさんに言い返す若い人に、「感謝しないと」「手伝ってくれているんだから」とか、「目的は同じ」「敵にしないほうがいい」などと言いながら、おじさんに怒るのではなく若い人を諭し、最後に飴を渡す女性がいたと聞いた。
これは今回に限ったことではなくて、残念ながら、よくあることだという実感が、私にもある。わからせおじさん以上に、そういうおばさんのことを怖く感じるのも、わかる。
上から目線で説教しておきながら、飴を渡すのは、相手を尊重したり気遣ったりしているからではない。「あなたのことを想っている」ことを示すための、毒親のような振る舞いだ。
「あなたのため」「目的は同じ」-本当にそうなのか?
「あなたのためを想って」といいながら支配的な態度をとる人は、多い。子どもを虐待してしまう親にもよくいる。
その言葉に騙されず、「嫌だな」と思ったら、それは自分の尊厳が脅かされるサインかもしれないので、その違和感を大切にしてほしい。そのことを、私は出会う少女たちにもいつも伝えている。
「目的は同じだ」という言葉も、よく口封じに使われる。私はそういう人たちと、目的が同じだと思わない。
若い人に教えてあげる立場をとることで気持ちよくなろうとしている人や、運動のなかで若い人に教えてあげることに自分の役割や居場所を見出そうとしている人の目的は違うと思うから。私は運動のために声を上げているのではないから。
そして、もし目的が同じなのだとすれば、人権が守られる社会づくりなのだとすれば、その目的を果たすための振る舞いは、嫌なことがあっても黙ることではないだろう。
自身の権威性を自覚し、やるべきこと
おじさん、おばさんたちに言いたい。あなたたちが叱らなければならないのは、「わからせおじさん」のほうだ。「わからせおじさん」を目撃したら、率先して出て行って、対応しよう。
そして、そういうおじさんが出没していないか、目を光らせてほしい。そうでないと、気づけないから。そうしていれば、「おじさん」が加害しにくい雰囲気をつくれるから。
私は普段から、若い女性に対する暴力にかなり敏感で、「キモいセンサー」がめちゃくちゃ発達しているので、どこにいても、電車のなかでも食事中のレストランでも、道端でも、しょっちゅう加害の瞬間を目撃する。
そういうとき、私は瞬時に介入して、加害者に言い返したり、追っ払ったり、警察を呼んだりする。ナンパ男やぶつかりおじさん、風俗のスカウトなどがしつこく女性に絡んでいるときにも、「嫌がってますよね?」と間に入る。その力が、経験から身についている。
そんな私の姿をそばで見ている人たちは、何度か一緒にそれを経験するうちに、そうした対応ができるようになる。最初はうまくできなくても、一言言い返したり、むっとした表情をすることからでもいい。NOを突き付ける練習を積み重ねると、力がつく。
日本社会では、女たちがそういう力を奪われ続けてきたのだろう。嫌なことがあっても、愛想笑いすることを求められ続けてきたから。
一人で対応しないほうがいいこともあるから、みんなで力をつけていくことが大切だ。だから、言葉にして、みなさんと一緒に考えたい。
無自覚な善意の押し付けはやめよう。
「若い人に教えてあげよう」という態度は上から目線であり、わからせおじさんと変わらない。相手を怖がらせておきながら、「誤解されている。直接会って話したい」と自分の要求を押し付けようとする人もいるが、「直接話せばわかる」というのも、DV加害者がよくいうことだ。
そういう人との対話は不可能だ。
なぜなら、そこに相手への尊重がなく、対等な関係はないからだ。
デモに集まる若い人たちと、自分が対等な立場にあると勘違いしてはいけない。そうした関係性は自らの努力により築いていかねばならないものだからだ。
それを指摘されて機嫌を損ねる「おじさん」(的なもの)に気を遣う必要はない。
新しい運動をつくっていけばいい。
怖がりすぎる必要はない
こういうおじさんやおばさんに「顔を覚えられてしまったかもしれないから、次は目立たないようにデモに参加せねば」と思わされている若い人たちがいる。
怖い思いをした側が抗議に来ることができなくなってしまうということは、これまでも繰り返されてきた。学生の頃からデモに参加したり、人権活動をしてきた私でも、今でも思うことはある。
しかし、そういうおじさん・おばさんたちには、自分が相手にそんなふうに思わせている自覚がないから、次に会ったときに、普通に平気な顔をして、あたかも仲間であるかのように話しかけてくるということも全然ある。
怯える若い人たちには、そういうおじさん・おばさんたちは、無自覚すぎて、自分のやったことを忘れていたり、気にもしていないということがよくあることも知っていてほしい。
こっちは気にしすぎるくらい気にしすぎてしまうし、怖いんだけど、相手はケロッとしているということも、よくある。びっくりするし、ひどいなって思うけど。
だからそんなに怖がる必要もない。こちらも堂々としていればいいのだ。無理に笑顔を振りまかなくてよい。
これ以上、繰り返さないために
「わからせおじさん」以上に問題なのが、そうした「おじさん」を無自覚に擁護してしまう人たちだ。その無自覚が、「わからせおじさん」をのさばらせ、問題を深刻化させている。
今までそういう人を見ても黙るしかなかったり、忖度して「うまくやろう」とするしかなかった人がいることは理解するが、
そのせいで私たちが、もっと若い人たちが、次の若い女性枠としてターゲットにされている。
いつまでもこんなことを繰り返していたら、女性の人権は、運動のなかでも置き去りのままだ。
そういう人がやりたい放題しにくい雰囲気を、つくりましょう。嫌な目にあった若い女性が、次も「堂々と」デモに繰り出せるようにしたい。だから繋がりましょう。何かあれば愚痴り合いましょう。おかしいことには、みんなで跳ね返せるようにしていきましょう。
「共にある」ために
対等な人間関係というものを、この日本社会では経験する機会がなく、知らない大人があまりにも多いのだと思う。
若い人に教えようとしたり、自分の説明を聞かせようとするのは上から目線だ。一緒により良い場作りに取り組むためには、善意を押し付けようとする側が変わる必要がある。
これは「支援」の現場でもいつも起きていることだ。
だから子どもたちは、支援を拒むのだ。
Colaboはそれに抗う活動を続けてきた。新たな関係性をつくるということだ。
『デモの現場で女性を「わからせ」ようとするおじさん』の記事でも紹介している『週刊金曜日』2026年03月06日号 や『Colabo攻撃』で、法政大学元総長でColabo理事の田中優子さんも、歳を重ねた立場から、その必要性を述べている。ぜひ読んでみて欲しい。
この対談でも、田中優子さんは呼びかけている。若い人に指摘されたらムカつく人はぜひ、こちらを。
▽ 「差別の中で耐えさせられてきた女性たちの連帯を」
私たちは、差別や暴力のない社会をつくるためには、「共にある」関係性が広がっていくことが必要だと考えている。それが、どういうことなのか、真剣に考えたり、試行錯誤しながら実践している人が、増えてほしいのだ。
そのためのヒントを、Colaboとつながる少女たちはこれまで、さまざまな場面で言葉にしてきた。彼女たちは、家でも、学校でも、バイト先でも、児童相談や警察でも、大人たちの上から目線を経験してきた。
これ以上繰り返さないでほしいと、自身の経験を言葉にしている。
少女たちの声を中心にColaboの歩みをまとめた、『当たり前の日常を手に入れるために-性搾取社会を生きる私たちの闘い』(影書房)も、ぜひ読んでほしい。
『Colabo攻撃ーー暴走するネット社会とミソジニー』(地平社)でも少女たちは声を上げている。
私は、悩んでる子や自分と同じ経験をしてる子たちが声を上げやすい社会にしたいんで
す。経験を話すと偏見や何でそんなことしたのと本人を責める大人がよくいます。だから大人の方にこの二つの事をお願いしたいです。
1つ、上から物事を言わないでほしい。2つ、勝手に決めつけないでほしい。
上から目線ってどこからなんですか?って聞かれるんですけど、私たちに聞かないでください。自分たちの頭で考えてください。
以下の動画、後半で、本人によるスピーチも見られます。
今、差別と暴力が蔓延する社会の中で、不安や恐怖心を抱えている人が多くいる。現状を共に見つめ、痛みを言葉にし、差別や暴力の構造を理解することは、社会を変える力になる。そのために、この本を書いた。私たちは、みなさんとともに、この社会を変えていきたいと思っている。
ミソジニーに基づく女性に対する攻撃に対抗するためは、筋肉と同じように、男社会の構造ややり口を見抜くためにトレーニングをして鍛える必要があり、それを若いうちから始める必要がある
運動のなかのミソジニーは深刻なので『Colabo攻撃』や、『「トランプに抱きついた汚れた手で憲法を触るな」に内在する女性蔑視』も読んで一緒に考えてほしい。
ミソジニー社会に抗う筋トレに役立つと思う。
社会を変えようとするとき、反発は必ずある。乗り越えるためにつながる
運動のなかに女性差別のテーマをどんどん入れていきたい。それで居心地が悪いと思う人もいるだろうけど、アップデートが必要なのはその人たちなのだから。
菱山さんとの対談でも、運動の中によくいる「おじさん」の問題を語っている。
勇気を出して抗議に参加したり企画したのに、身内の顔した人から嫌な思いをさせられたり、そういう場面を目撃した人は元気が出るかもしれないから、疲れた時、暇な時、よかったら見てみてほしい。動画がおすすめです。
▽ 「自分たちでつくる『侵されない居場所』」
5月3日の憲法集では、11時からの女性のミニステージで、Colabo理事で法政大学元総長の田中優子さんと私が対談する。30分くらい。
40歳近く年齢の違う私たちが、世代を超えてどのように手を繋ぎ、関わり合っているのか、お話したいと思っている。
「教えたがり」になりがちの人にも、最近声を上げ始めた若い女性たちにも来てほしい!
その会場には菱山さんもいるし、Colaboのバスカフェに妨害が深刻だった時に駆けつけた「女の壁」のおばさんたち(無礼な輩にNOをはっきり突きつける!)もいると思うので、これを読んでくれている方々とも、なんとなくでも顔見知りになって、今後運動の中で変な「おじさん」がいた時には、一緒に立ち向かえるようになりたい。
私からは当日みなさんの存在を個別に認識できないと思うので、よかったら、「投稿見てます」とか声かけてほしい。そうしたら、顔を覚えられると思うから。ちょっとした知り合いになりましょう💞
ルールづくりでは解決できない
こうした現状から、デモや抗議の際に、ルールを作り、周知を徹底して欲しいという声も結構目にする。でも、ルールを作ったところで「おじさん」たちはやる。
そして、「ルールがあるから守る」のではなく、ルールがなくても互いを尊重し合える場や関係性を築いていけるように努力をしなければならないのだと思っている。
決定権のある人が決めたルールだから、その場所のルールだから守るということでは人は変われないし、「ルールだから従おう」と呼びかけるのは、そこにいる一人ひとりに、自分の頭で考えることをさせないことにもつながる可能性がある。
ルールが不必要とは言わないが、ルールで縛らなくても、他者への尊重や関係性でカバーできることはたくさんある。その努力を諦めたくはない。
そのためには、一人ひとりの意識と関わり合いが必要で、理解の過程では、時に衝突もあるだろう。
それは面倒なことだけど、大切なことで、Colaboの活動の根幹に、それがある。
自分を省みながら、関わり合う
様々な支援機関には、大人の管理のためのルールがいくつも存在し、子どもたちを縛り付けるが、Colaboのシェルターにルールはない。
田中:私は仁藤さんから日々学んでます。私のようにずっと学校関係にいると「保護」という名の管理、「支援」という名の管理、いずれにしても管理に慣れてしまうのですよ。(略)
つまり自分ではそう思ってなくても管理する、という気持ちが少しでもあると、人間関係が歪んてしまう。自分の意識を変えなければならないと感じたから、他の方たちにもそれに気がついてほしいと思うようになりました。
仁藤:管理しないということは関係性でカバーしないといけないから難しいこと。ほったらかして、好き勝手させるということではないんです。関わり合いの中でお互いを尊重できる場や関係を作っていく。
違いを恐れず、乗り越える
今、意見の違いを恐れ、批判や議論を避けたり、控えることを礼儀であるかのように思わされている人が増えている。他の人と違うことが怖いから、学校や会社では政治的な話ができないという人も。
日常の中では政治の話をするのは怖いけど、デモに行く友達が欲しいから、それ用のマッチングアプリを作ってほしいという声も聞いた。
最初は一人では怖いから、つながることは大切だ。でも、日常のなかで政治的なことを、話題にすることはとても大切な抵抗である。それをさせないことこそ、独裁者の思うつぼだから。
互いを大切にし合うことは、すべてに同意することや、批判をしないことではない。
批判することは、相手の存在を否定することでもない。
互いの意見を言い合える関係性を築き、たとえ、意見が違ってもその背景を想像し、語り合い、違いがあっても乗り越えていく。そのことが、戦争させない社会づくりにも必要だ。
Colaboでは、みんなで言い合うし、議論もよくする。立場は関係ない。
何もしなくてもみんなが平等だということではなく、年上の人や男性は、自分の権威性を自覚し、ふるまいを考えなければならない。それは当たり前のことだ。
差別や暴力は論外だが、批判や議論を悪いものとしないで、堂々としていられる社会にしたい。それが民主主義だ。
そのために、私たちはみんなで変わらないといけないのだと思う。
ColaboのHPでも、少女たちの声を紹介している。
Colaboのシェルターで住み始めたときも、私たちをかわいそうな存在とかダメな子、管理の対象として見てるんだろうと思っていました。施設ではそれが当たり前だったから。でも、Colaboは違って、スタッフと女の子は上下の関係ではなく、私の話もいろんな背景や痛みを想像して、聞いてくれる人がいました。
Colaboに来る前は、自分の発言や感情を深く考えなかったし、真剣な話やこれからのことを考えるときも都合よくふざけていたけど、Colaboに来てから広くいろいろなことを考えるようになって、自分の気持ちがわかったり、おかしいことはおかしいと言うようになりました。
一緒に、おかしいことにおかしいと言えるようになりましょう。
私も、見ぬ振りしないで、行動する人でありたいと、活動を続けてきた。
Colabo15周年を迎えて
実は今日、Colaboは活動15周年を迎えた。
だから、今日は、この15年の歩みをまとめようかなと思っていたのだけど、
ここ数日、共に怒り、どうしたらいいのだろうかと考えようとする人が、とくに若い女性たちの間で広がっていることを感じているので、このテーマで書いた。
私の記事を「他人事ではなく、自分事として」「上から目線、自分を含め反省」「自分もわからせおじさんにならないように気をつけよう」などと、内省しながらシェアしてくれるおじさん・おばさんもいます。
そうした姿をどんどん見せてほしいです。記事にもぜひコメントをお寄せください。
そういう雰囲気が高まらないと、「わからせおじさん」も、自分がおかしいと気づけないままになってしまうから。
男社会を変えるためには、こうした関わり合いが必要なのだと思う。
嫌がられることも言いましょう。それに気づかせてくれた人に感謝をすべきだ。
15年前と、今見ている景色はだいぶ違う。
現状は全然よくなっていない。だけど、一緒に取り組む仲間ができた。
虐待や、性搾取の問題に声を上げる人も増えている。
寄付で支えてくれる人たちも、増えている。
10代の頃、私も「誰もわかってくれない」と思っていた。
声を上げると、たくさんの人が問題意識を持ってくれた。
だからこそ、Colaboは男社会や性売買業者からの攻撃を受けている。
一緒に変えていきましょう。
15年、立ち続けることができたのは、一人じゃないと思うことができたからだ。
みなさんがいたからだ。
今日、Colaboは、新たにサポーター会員の呼びかけページを開設した。
今、女性人権センター建設に向けて賛同を募っているが、センター建設後を見据えて、
差別や暴力に抗う女たちの活動拠点、そして性搾取のなかにいる少女や女性たちへの包括的な支援拠点をつくるため、活動基盤を支えるサポーター会員を増やしていかなければなりません。
今年、2,500人の方に会員になっていただくことが目標です。一日35円~応援いただけます。
具体的な一歩で支えていただけたら嬉しいです。
15年間、少女たちとColaboを支えてくださったすべてのみなさまに感謝します。
16年目もますます頑張ります❤🔥
こうしたことを、これからも言葉にしていきます。
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