『推し』や『推し活』の危うさ―誰かを「応援」することで満足しないために
選挙の応援をするたび、候補者でもない私に握手を求めてくるおじさんが多くいる。アイドルの「握手会」も性の商品化の一形態だ。
『推し』とか『推し活』という言葉が、政治家や声をあげる人に対しても使われることがあるが、この言葉は、消費社会の中で、性搾取のために使われてきた言葉でもある。だから私は使わない。『推し』や『推し活』という言葉の危うさを言葉にした。
『推し』とか『推し活』という言葉が、政治家や声をあげる人に対しても使われることがあるが、この言葉は、消費社会の中で、性搾取のために使われてきた言葉でもある。だから私は使わない。『推し』や『推し活』という言葉の危うさを言葉にした。
仁藤夢乃
2026.05.15
読者限定
選挙の応援に行くと、自分が誰かを名乗ったり、なぜ握手がしたいのかの説明もしないのに、候補者でもない私に、当然のように握手を求めてくる人たちがいる。たいていおじさんだ。
私は、知らないおじさんと触れ合いたくない。自分の講演会なら断ることもできるけど、選挙中だと候補者の印象悪くしたくなくて断れず。
2025年夏の選挙では、ネイルした長い爪で相手の指先を触れる程度の、握手と言えない謎の接触を連発させて済ませた。選挙のたびに、少し候補者と一緒にいただけでもキモい思いをたくさんするから、女性候補者が浴びせられる目線は想像を超えるもので、きっと感覚を麻痺させてないといられないのだと思う。
確かに握手をすることで力をもらうこともある。
私も「慰安婦」として日本軍に性奴隷にされた金福童さんが亡くなる直前に、寝たきりの状態で「頑張ってね」と言って強く強く握ってくれた手を忘れられない。
でも、それは一方的に、握手を求める側が力をもらうための握手であってはならないのではないかと思う。
